島根県西部、石見。
この土地には、五穀豊穣への感謝を神に捧げる神楽が伝わっています。人口およそ十九万人の地域に、神楽を舞う団体は百三十を超え、今もなお受け継がれています。
秋祭りの夜、氏神様の境内に人が集まります。
神楽は、舞台の上だけで完結するものではありません。土地の人々が集い、神を迎え、その場をともにつくる。
それが、石見に受け継がれてきた神楽です。
人と人をつなぎ、人と地域をつなぎながら、
土地の祭りとして育ってきました。
神殿での神事が終わると、舞殿で神楽が始まります。
かつては夜から朝方まで、十数演目が休憩をはさまずに続きました。
最初は場を清め、四方を鎮める儀式舞から。やがて神々が現れ、鬼が現れ、物語が動き出します。
夜明けには、大蛇が激しく舞う。そして、伝統的な夜明け舞では、五神が最後の演目として奉納されます。現在の演目や順序は、地域や神楽団体、奉納の形によって異なります。
一夜まるごとが、神様への捧げものです。
ここからここまでが奉納、という境目はありません。始まりから終わりまで、すべてがつながってひとつの奉納になります。
「何もない」時間があるからこそ、
そこに訪れたものを感じることができる。
石見神楽には、鬼が登場する演目が数多くあります。
疫病をもたらす疫神を鍾馗が祓う「鍾馗」。異国から攻めてくる翼のある鬼を射る「塵輪」。大蛇に娘を呑まれそうになった須佐之男命が、大蛇を斬る「大蛇」。
石見神楽の演目「道返し(ちがえし)」では、鬼と神が激しく戦います。
しかし、神は鬼の命を奪うことなく、悔い改めた鬼を元の道へと返します。
一方で、鬼が退治される物語もあります。
それでも、季節が巡れば、再び鬼は神の前に現れて戦いを繰り返します。
神と鬼は、まるで戦いを通して互いに向き合い、均衡を保っているかのようです。
神楽は、神様に感謝を捧げ、楽しんでもらうものです。だから石見神楽にはユーモアがあります。その「洗練された芸」と会場を包む「笑い」に、子どもたちは夢中になり、恐ろしいはずの鬼に胸を躍らせ、憧れることさえあります。自分もいつか舞いたいと、その舞を受け継いでいく。そんな営みが、今も続いています。
そこには、善悪だけでは割り切れない、ただ純粋にその存在に心を動かされる、人間の不思議な感覚があるように思います。
私たちは、そんな鬼の姿に何を見ているのでしょうか。
島根県西部の石見地方では、石見神楽に登場する鬼や神々の面を、玄関などに飾る風習があります。
「飾り面」と呼ばれる面は、魔除けや家を守るものとして大切にされ、新築や出産のお祝いなどにも贈られてきました。
神楽の面が、人々の暮らしの中にも息づいているのです。
斬られた大蛇の尾からは、剣が現れます。
鬼を退治して終わるのではなく、
そのあとに残るものがある。
人々は鬼を迎え、退治する物語を繰り返しながら、この土地の祭りを受け継いできました。
かつて神楽は、収穫の季節に行われる神事でした。
神主が氏神様の境内で、夜を徹して舞を奉納する。祈願からではなく、実ったことへの礼から始まった祭りです。
明治のはじめ、神職が神楽を舞うことを禁じるお達しが出ました。
神主たちは、村の有志でつくられた神楽団に、自分たちの舞を教えました。神主から氏子へ、社から町へ。渡されたことで、神楽は町のものになっていきます。
受け取った人々は、ただ昔の形を守ったのではありませんでした。
自分たちの時代に合わせて舞や囃子を変え、面や衣裳を工夫しながら、新しい神楽をつくってきたのです。
囃子は六調子から八調子へと速くなり、面が増え、火が噴かれるようになりました。いま思い浮かべるあの賑わいは、そうした人々の工夫によって育ってきたものです。
受け継がれながら、変わり続けている。
その土地に生きる人の手によって、
今も更新されている伝統です。
石見神楽の面も、衣裳も、十七メートルある大蛇の胴も、石州和紙でできています。
粘土の型に和紙を何層も貼り重ね、柿渋を塗って強くする。軽いからこそ、あれだけ激しく舞うことができます。
紙をすく人がいて、面をつくる人がいて、刺繍をする人がいて、舞う人がいます。
石州和紙がなければ、石見神楽のものづくりは成り立ちませんでした。
太鼓も、舞の呼吸も、面をつくる技術も、親から子へ、子からその先へと受け継がれてきました。
石見には今も、神楽を舞うために、この土地に残ることを選ぶ若者がいます。
ひとつの舞が生まれるまでには、
たくさんの人の手と時間があります。
神楽は、舞う人だけで受け継がれてきたものではありません。
神楽という言葉は、神座(かむくら)から来ていると言われています。神様をお迎えするために、空けておく場所。
KAGURAは、石見神楽の一夜の流れになぞらえて、五つの所作を置いています。演目をそのまま写したものではなく、そこから受け取ったものを、今の暮らしへとつなぐための構成です。
受け継がれてきた所作に込められた祈りや節目の意味を、日常のなかに置き直す。
それが、KAGURAです。
邪を断つ、
週に二度の夜の所作を暮らしの中に。